179ヶ月め_会津から豊間へ


今日は2011年3月11日から5,451日
778週5日
14年11ヶ月
179回目の11日です。


先日は福島の郡山から会津若松、そして奥会津の柳津と巡り、県立博物館の学芸員チームとこの1年の『会津の食にまつわるプロジェクト』の振り返り。
関わったみなさんと再会し、そこで何があったのかを思い出しながら語り合いました。
子どもたちに関わることの多いプロジェクトだったので、やはりそ『の後の子どもたちはどんなか?』それぞれ責任を感じながらもオープンに話すことが出来てよかったです。

今の小学生は『物心ついたり』『自我が芽生えたり』のタイミングでコロナ。
社会に触れるほとんどの場面で、マスクで顔を覆われた大人からモラルを守ることが求められることを経験してきた人たち。

そんな子どもたちに対し自分がやるべきことは、アートを手段とした気持ちの良い体験から自己肯定感を得てもらうこと。絵を描く紙の上では、無理して良いことを語る必要も無く、好きな色を気持ちよく塗るようなことで心を開いてもらえたらいいなと。大切な話があるならその後で良い。


気がつけば、今向き合う子どもたちば2011年3月以降に生まれた子どもたちなんだなと、、
時が過ぎる速さに慄きつつも、それでも「まだ15年」との思いもあり、今回。

会津から浜通りまで移動、震災後にボランティアで入り、その後定点観測的に足を運び続けてきたいわき市の太平洋岸のビーチ、豊間を目指しました。

しかし豊間、定点観測的に足を運んだと言うも、いつぶりか?と振り返ってみると、コロナ禍突入直前の2020年1月11日ぶり?6年ぶりになるんだ…

「この6年間に何があった?」と振り返るも、2020年コロナ初年に小学5年生だった息子が今は高校1年生になったという時間軸に、自身の仕事や社会的活動の記憶の断片が、時系列を無視する形でランダムに置かれ捻じ曲がり、メビウスの輪のような無限ループになってるのを想像しちゃうのだが…


『東日本大震災からの復興』というテーマで歩み出しように見えた社会は、自分が思ってたほど真っ直ぐな道を選ばなかったんだろう。そこに「いつでも個人的記憶を取り出せる」ネットにシフトしたメディアのあり方が掛け合わさり、時間という概念がネジれ、自分の時間の圧縮や記憶の混乱なんてことが起こっているんじゃないか?

ただ、豊間エリアにある塩屋崎灯台を参照し描いた絵本「とうだい」が今年で発刊10年。
そんな確かな時間軸もあり、今回個人的な検証として、ボランティアから個人的のフィールドワークにシフトし歩いた塩屋崎や豊間で、自分は何を見て、何を見落としていたのかの確認はしておきたいぜ。

会津若松から磐越西線、磐越東線と乗り継いで夜に着いたいわき。急遽とった宿はJRいわき駅に隣接したビルに新設されたもので、そういやこんなホテルも無かったなあ〜。

晩めしを求め街に出てみると、以前はこんなにも見せなかったよな〜。この日は火曜日だったけど、こんな駅前の明け透け場所でキャッチに捕まること無かったよな〜。キャッチをやりすごすした背後から「今夜はダメだな〜」と世界を恨む声が聞こえた。火曜の夜に欲張りすぎ違うか?と思うも、いやいや、みんなそれぞれの事情があるんよ。


明けて朝早くのバスに乗り太平洋岸へ。
途中の真冬の田園風景は、以前よりずっと休耕地が減った印象で、農家のみなさんの努力の跡が美しく広がっている。

初めてボランティアで入った2011年6月。その時の暴力的に破壊された風景に出会い、「これは自分の足で歩いて見なくちゃ」と思い、2ヶ月後には徒歩とランニングを交えて海を目指した。その時の破壊され、ある意味遺棄されたように見えた悲しい風景は、さすがに15年分、きっと良い方に更新されているんだと思った。


これはバスに乗ってる場合じゃないなと、予定よりかなり手前のバス停で降りて、海岸線に沿った道を歩いてみる。

津波被害から7~8年後(?)に整備された運動公園では、多くのお年寄りがゲートボールに興じていて、そこから目を転ずると、以前には無かった立派な老人ホームの建物が見える。
15年前に悲劇に晒された土地で健やかに生きるという選択肢が整えられたんだね。

朝の光に包まれたビーチが美しくて、いつかまた大きな地震や津波があるかもしれないけれど、人間がこの土地を選んで暮らすという選択はごく自然なことと思えた。
ただ原発事故は人が作り出してしまったとても不自然なことなんだ」とも思ったよ。


波打ち際から丘の方に目を転じると、6年前には完成していた高い堤防が白く輝き、その向こうには復興のための造成の必要から切り崩され、稜線を変化させた山の姿が見える。

火曜日の朝、ここまでですれ違った人は無く、遠くに堤防の上を歩く人の姿が見える。

以前は立ち入って良い雰囲気の無かった岬に出てみると、立春の陽の光に包まれた灯台のある塩屋崎の岬が、太平洋にグイッと突き出て見えたのが、実にカッコよかった。


津波による多くの被害者を出した薄磯エリアの整備は進み、被害の爪痕が生々しく残された頃、造成による盛り土で月面のような風景に思えた頃の記憶が更新されてゆく。
6年前、海岸線に沿って何キロも渡り『防災緑地』として整備され始め、松の苗木などが植えられていた場所は、自分の背丈より高い木々に覆われた緑のベルトに育っていた。

↑ 6年前の写真
6年後の写真 ↓

これからさらに何年も時をかけて立派な緑地に育ってゆくのだろうけど、自分はそんな風景を確かめられるまで生きているのか?


6年前には無かった『いわき震災伝承みらい館』に入ってみる。
まず「入場無料」ということが多くを語っているなあ〜。

展示を見ると、知っていたことが少し。あとはほとんど知らなかったことばかりか…

なんだけど、自分の記憶の多くは15年前の春でフリーズさせているなあ。

東京に暮らす自分がそんなであれば、ここでの生活があった人の今はどんなだろう?

自分は想像するしかないんだけど、でも今ここにいることは間違いじゃないように思う。

さらに歩いて塩屋崎へ。
干潮のタイミングで、岬は穏やかに見える。

灯台の立っているのは、岬の先端じゃなく、ちょっと奥まった場所だったっか。
上書きされた記憶を修正する。

昼が近づき腹減ったなと思い、以前は開いていなかった土産物屋や食堂を覗き、でも思い直して塩屋崎の向こう側、豊間のビーチを目指して走る。なんでか走りたくなった。

豊間。

ああ、こんなに美しかったっけかな。

ビーチに出てみると、強い風に煽られた白い砂が川のように流れ海に注いでいる。

石英を多く含む砂は、踏みしめると「キュ」と音を立てる鳴き砂。
よく見ると多くの貝殻が打ち上げられていて、これも時間をかけて白い砂に変わってゆくんだね。

震災から3ヶ月後のボランティ活動の際、このエリアの町会長さんは「震災で砂浜が失われることがとても悲しい」と語っておられたけど、もし今もご健在であれば、この風景をどう思うのだろう?

自分はよそ者として勝手に「美しい」なんて思っちゃっているんだけど、でも人に対する想像力は失わずにいなくちゃだ。

後で調べたら、やはりこのビーチの景観を守ろうとゴミ拾いに尽力されているグループはあって、なるほど、今日これまで極端なプラごみに出会っていないのは、そうしたこともあるんだね。


太平洋、というか地球、というか、宇宙の力で押し寄せる波。
それに抗うように吹く陸からの風と低く舞い上がり流れる白い砂、
そうした力の拮抗から生まれる描くことの出来ぬ紋様を魅せる砂浜。

この世界には人間が我が物顔で居て良い場所はどこにも無いと思ってしまったんだけど、みんなはどう思うのだろう?
先回りせず、1人ひとり確かめてゆけたらいいな。


堤防を超え集落に入る。
真新しい住宅が並んでいる。

「復興」という言葉ではなく「再興」という言葉が浮かぶ風景。
それをより良いものに変えてゆくためには、何が必要なんだろうか、「ここでは無い場所」に暮らしている自分も考え続けなければならない。

震災直後から根性で営業再開したコンビニは、以前の場所から数百メートル移転して営業していて、それは前回と変わらず。ただ、周りの木が育ち、初めて来た場所のように思えた。

Googleで検索すると営業している食堂がいくつかあった。
ひとつめ、営業してなかった。
ふたつめ、駐車場に多くの車があって、よしここで食事しよう!と。
しかし、現金しか使えないとのこと、財布の中の3,000円で食べられるのはエビフライ定食くらいで、名物の鰻重は、今度だな…


しょうがない、3,000円ちょどくらいになるようビールの中瓶を一本頼むと「お車ではないですか?」と当たり前の質問。
「いや、歩きできました」と答えると、しょうがない、そりゃ怪訝な顔されるわな、、

10km以上歩いたからなんてこと関係なく、ほんと美味しいエビフライ定食を食べることが出来た!
こんなん15年前には考えられなかったことだよ。

お店の方にうかがいことが山のようにあったんだけど、でもそのほとんどはこのエビフライが語ってくれたはずなので、「また来ますね」とだけ伝えてお店を出た。

うん、やっは次はぜひ鰻重を食べたいぜ、豊間。

 

 

2月14日みんなでハートを描くワークショップ


2月14日はぐんまの前橋でワイルドでオシャレな企画ぶっ放します。

現場は道の駅まえばし赤城のSHOP CAFE Qu

障害を持つ人の可能性をサポートしサードプレスとしても機能する場所。

健常障害関係なく誰でも楽しめる場所になればいいね〜と、
みんなで考えたイベントです。

ここのイカした店長が手話通訳さんの手配もしてくれましたよ〜
社会のあちこちに置かれた「普通」という壁をぶっ壊し、
1人ひとりの「楽しい」を見つける絵の具遊び、身を粉にして取り組むです。
予約が必要なコンテンツもありますが、
まずは現場に足を運ばれ、生まれる絵をみんなで囲んで言葉を交わせば、
世界はちょっとハッピー。

アートとか芸術とかいうもんは後からついてくれば良し。

ということでみなさま、
2月14日は絵の具まみれのヴァレンタインに、ウエルカムです〜

178ヶ月め_香港レポート


今日は2011年3月11日から5,420日
774週2日
14年10ヶ月
178回目の11日です。

震災から3年目の能登。
東日本の経験から、被災された方の疲れはピークを超えているんじゃないかと想像します。
皆様どうぞうご健康であられますよう、心よりお祈り申し上げます。

東日本は今年の3月11日に「15年」「節目」などと言われるかもしれませんが、
この15年でボクが出会ったきたのは「1人ひとり」というものなので、
引き続きただただ寄り添い並走する気持ちでいたいです。

復興の途上で失われてしまった方も少なからずおります。
そうした方々の意思を、被災の対岸で暮らす自分も大切にし、
これからの社会に活かして行かなければならないと、あらためて強く思う今年の年初でした。

みなさま、引き続きよろしくお願いいたします。


昨年12月20,21日、香港で開催された香港イラストクリエイティブショー10に参加しました。

イラストレーターズ協会のご縁で主催者と知り合い、現地に立ち会うのはこれで3回目。

これまでは協会のバックアップも受けて参加していましたが、
より自由に、より責任を持ったブース運営をしたくて、今回から個人でのエントリー。
ですが、アジア圏でイラストレーションの可能性を探りたい仲間を募って、
主に日本の年賀状にフォーカスしたグッズ販売を行いました。

今回何より、高校1年で16歳の息子を同伴させたことで、多くの気づきを得られました。

そんな息子とブース前で記念撮影。

背景のイラストレーションは、やはり今回お誘いしブースをシェアした京都在住のイラストレーターcacoさんの手によるもの。

過去にも積極的に香港の企画に参加くださって、現地でじわり人気が出ている彼女。
「こんなブースだったらいいな」という要望に、短期間でめちゃくちゃ頑張って応えてくれて嬉しいです。


おかげさまでブースは大盛況。
英語も広東語もまるっきりダメな自分を、英語が得意な息子が現地スタッフとの連携しフォローしてくれたこと、ありがたかったな〜。

今回グッズ提供をお願いしたイラストレーターの仲間には、香港の方に手に取ってもらえるちょっとしたアドバイスをしました。それもまずまずハマったんじゃないかな。


ボクが初めて香港に行ったのは2019年8月。民主化デモが行われていた時です。
日本の報道やネットの情報からその激しさを知るも、現地に行ってみると活気のある香港と出会うばかり。
香港の多くの方はネットでデモの情報を得て、自身の仕事や生活を優先した行動をとっていた。

あれから6年。
個人的に1年半ぶりの香港は、眼に見える部分では変わらず、ダイナミックで朗らかで優しい、そんのイメージ。
飛び込みで入る街の飲食店でも「ああ、日本人か」みたいな感じで、言葉の壁を超えた対応を頂きました。

何より「kawaii」を必要とする香港の若い人たちの存在が、うれしいんよね〜。

渡航する前は「なんで今ゆくのか?」などの危惧もされたけど、いや、そこに絵やイラストレーション、かわいいものを必要とするから行くんだよと。

で、実際に行って絵やイラストレーションを間に置いて人と向き合うと、簡単に飛び越えることの出来る国や政治体制、民族の違いがある。

日本でも香港でも、どこでも、自分が向き合うのは「ひとり」というものであり、その基本の上で『なぜ香港の方が「kawaii」を必要とするのか』を想像することで得られる、クリエイティブなモチベーションが尊い。

そうしたことを、16歳の息子はよりフラットな視線で見てるわけで、食事をしながら「どうだった?」なんて会話が出来たことも大きな財産になりました。


巨大なコンベンションセンターの中のひとつのホールで開催されている香港イラストクリエイティブショー。
その階下ではポケモンの発表会に多くの人が集まっている。
その隣ではAIを使ったアートやデザインの展覧会に、また多くの人が集まっている。
(AIに関して、韓国も中国も日本よりかなり先を走っているイメージ、、)

日本の16歳、何を思う?

で、今回。
主催者がボクのためのライブペインティングのブースも用意してくれたので、ならば自分の勝手な絵を描くんじゃなくて、会場に来られた1人ひとりを描いてみることにしました。

ひとりに対しスケッチして着彩まで5分ほどで行うのを、2日で約4時間半、54名描いたのですが、
疲れた〜〜…
が、それ以上に楽しかったなあー


この画像は描き終えた絵をスマホで撮影した荒い写真を、Photoshopでブラッシュアップしたものだけど、なかなかの雑な絵ばかり。。
なんだけど、現場で向き合い描いたからこそのリアリズムがあって、やっぱ愛しい。

にしても、モデルになってくださった方に申し訳ないぜと、この絵をさらにスケッチする感じで1人ひとり描き直しをしています。


なんでこんな作業をしているのか?描きながら気がつくのは、香港で向き合う人の「キャラ設定されてなさ」。
いわゆる「〇〇系」に自身を押し込んでいない。だからか「キメ顔」が無い。その人なりの「キメ顔」があったとしても、それは「憧れの何者か」になるためでなく、「その人が背負っている何か」が滲んで見える表情だなと(これは台湾でも感じたことだね)。なので「描かなくちゃ」って強く思うんだろう。

香港では二人組、特に女性の二人組をたくさん描きました。
そんな二人組が纏う幸せそうな空気が愛しくてね、この2人の風景は描かなくちゃ!と、ついつい必死になってしまう。


日本でもこんな二人組に出会うけど、纏っているものがちょっと違う。
その違いが面白いのだけど、香港ではより自由なるものを感じるのはなんでだろう?

そんな話も息子と出来てよかった。

スケッチの最後の方でお母さんと娘さんの二人連れを描いたんだけど、2人がギュッと手を握り合ってる姿に、なんだろ、非常にドキドキした自分です。

という感じで、強烈な筋肉痛に襲われたライブペインティングも終了。

ああ、良い出会いばかりだった。

この経験からさらに自分は、自分が描くべきものと人が必要とするものをしっかり噛み合わせて、なんなら人ひとりを救えるくらいの「kawaii」を創ってみたいぜ。

香港のみなさん、また元気で会えましょう!

 

177ヶ月め


今日は2011年3月11日から5,389日
769週6日
14年9ヶ月
177回めの11日です。

今日は近所の小学校6年生と地域の壁画制作。
2018年から9回に渡って制作してきた壁画、子どもたちと学校と親と地域と自分とが連携し、街にとって幸せな壁画を制作してきたプロジェクト「とみがやモデル」の発展版。


渋谷区が先進的に取り組んできた子どもたちの探究的な学びの教育プログラム「シブヤ未来科」をフルに活用し、地域の課題を探究的に調べてきた6年生グループと、学校長の挑戦的なアイデアがうまいこと噛み合い、現在ある壁画から学校に続く道沿いに設置された小田急線線路の防音壁に、落書き防止と地域美化を両立される壁画を制作することに。


これを実現させるため、小田急の担当部署と折衝を行ったり、道路使用許可の申請を行ったり。
また、子どもたちが地域の課題に当事者として向き合えるよう、地域の落書き消しを一緒に行ったり。
その他、デザインやイラストレーションを使い地域に貢献するためのセッションを行ったり。


趣味は「火中の栗を拾う」、特技は「矢面に立つ」な自分ですが、

現在高校1年生の息子が大人になった時、どんな人が社会の仲間であったらいいんだろう?
そんなエクスキューズのもと、ともかく子どもたちと一緒に出来ることを重ねてきての今回です。


さて今の6年生。
小学校入学のタイミングでコロナ元年。

「それやっちゃだめ」「それ人の迷惑になるでしょう」
すべての会話がそんな枕詞から始まったような時代に1年生になった彼ら。

自分との関係で言えば、彼らが4年生の時に初めてセッションを行った世代。
その印象は、めちゃくちゃ頭良くてクレバー。
なんだけど、すべてのアクションの頭に「これやっていいの?」のひと言が入るような世代。

コロナの影響は侮れないです。


そんな彼らに対し、どこか何かのきっかけで1人ひとりのマインドにブレークスルーを起こしてあげたい。

自分のようなものが学校に呼ばれて子どもたちと向き合う意義はそこにあるわけです。
が、答えを先回りせず向き合って1年半。

「そろそろブレークするか!?」と思わせる事象がちらほら見え始めると、これまで押さえてきたものがボンと音を立てて吹き出るような瞬間が何度かあって今回。
壁画制作のタイミングとして最高!と真実実行しました。

そのタイミングがベストであったかどうか、1時間15分の制作時間で描いた50センチ幅で50メートルの壁画を見ていただけたらうれしいです。


今回のプロジェクトに利用した「シブヤ未来科」は、文科省が進めている探究的な学びのカリキュラムのシブヤモデルですが、こうした探究的な学びはこれらからの日本に絶対必要なことと考えています。

しかし、子どもたち1人ひとりが探求脳を獲得するには、自分の中にあるものを気持ちよく出し切り、その気持ちよさを誰かと共有できるようなことが必要だなと。それは自分が多くの現場で子どもたちとのセッションを繰り返してきた経験から実感しています。

子どもとの共感の共有のようなきっかけを創れたら、探究的思考が働き出すまで「待つ」といことが保護的立場にある大人には必要とされます。

そうして探究的思考が働き出しても、安易に成果を先回りして求めず、子どもたちの成長と楽しく並走するようなことも必要です。
自分が子どもたちと向き合った感じだと、子どもたちと出会って1年半は「待つ」ことの必要を感じています。

が、そうして子どもたちと付き合ってみた1年半後、子どもたちは自分と対等の立場で話しかけ、質問し、一緒に考えるようになってくれます。

そうなれば、自分のような者はただ子どもたちの背中を見守るばかり。
いや、ほんとみんないい顔した「人」に育ってくれるなあ〜と。

こうした子どもたちの成長が求められる時代ではありますが、それをすべて学校や先生に任せてしまうと、学校の現場はパンクしてしまうので、保護者や地域や企業や自分のような専門家も学校の力になり、理想的な子どもたちの学びと成長をバックアップする必要があります。

自分の場合は、週に1時間とか2時間の時間を子どもたちのために使うだけですが、それでもそこでの子どもたちの成長は絶大なわけで、その成長は自分の人生の喜びであるなあと。

その喜びは自分の「幸せ」の価値観を思いっきり良い方に更新させてくれるのです。

今回の壁画実現のために、子どもたちや担任とのミーティングから、PTAk、地域、行政、企業などなど、多くの方と語り合い、お力添えをいただいてきました。

そして本番。見守りや片付けを手伝ってくださった子どもたちのお母ちゃんたちと交わすひと言ふた言がオープンで、豊かで。。子どもたちを主語で語ることで、自分たちはこんなにも豊かな会話を持つことができるんよね〜。


にしても、絵を描くことを「アート」や「芸術」という枠に押し込め、何か特別なことのように語ってしまうのは、もったいない。

身の回りの課題を解決するための整理や、人とのスムースなコミュニケーション、ディスカッションの大まかな方向性を共有する手段として。さらには、この課題解決にはどんな学びが必要なのかを導き出すため(従来の国語算数理科社会の学びを受け身では無く能動的に学んでゆくきっかけとか)、絵を描けばいいのにな〜と思うのです。

そうした経験を持った人なら、AIに独創的で適切で社会に有益なプロンプトを打ち込む力を身につけるはずだしね!

さて、子どもたち。
次はなにをやろうか!?

「ぼくと、ガザのこどものえ展」 at 名古屋のメルヘンハウス

名古屋の子どもの本の専門店メルヘンハウスのギャラリー
「ぼくと、ガザの こどものえ展」12月2日(火)~27日(土)で開催します。

 
ガザからエジプトに逃れてきた子どもたちに「自由に絵を描いて」と画材を手渡す活動から生まれた絵と、
それを見た渋谷区立富谷小学校の6年生(昨年度)が描いた絵を向かい合わせで展示。
それがどんなきっかけで、どんなコミュニケーションを持って実現したのかがビジュアルで伝わるよう、
「みんなで見たこどもの絵」の著者でグラフィックデザイナーの菊池志帆さんが奮闘しビジュアル化。

自分はいつも通り絵と絵の良い関係を見極めた展示作業を行いました。

久々再会した渋谷の12歳が描いた絵たちに対しあらためて「どうやったらこんな絵が描けるんだろう?」という探究心が、自分で仕掛けたことではあるのだが、湧いて、湧いて。

個人的には「ガザで失われているものがなんであるのか渋谷の子どもたちの絵から気がつける展覧会」なのではと期待しています。

小さなギャラリースペースですが、ここには世界への扉が開いていますんで、みなさんぜひ名古屋の覚王山のメルヘンハウスまで運びください!

なによりメルヘンハウスの三輪丈太郎さんの「開催したい!」というPUNKな意思で実現する展覧会。
12月24日には「再現授業ワークショップも開催っす!」
あ、2日東海地方でオンエアのNHK「まるっと!」でも紹介くださるとのこと。
オンエア3分ほどなのに2時間もお話を聞いてくださり、ありがてえ〜。そしてこの展覧会、巡回の希望があればお声掛けくださいね〜!

【会期スケジュール】
12月2日(火)〜28日(日)
10:00~17:00
(3日は13:00オープン、7.8.21.22日はお休み)
【イベント その1】
「ガザの」の子どもたちの絵を見て小池アミイゴさんと一緒に考えて、感じた想いを絵で表現してみよう!
・日時:12月14日
・1回目:10:30~12:00、2回目:13:00~14:30
・定員:各回とも7名
・対象年齢:小学中学年から大人まで
・参加費:¥1,000
【イベント その2】
『みんなで見たこどもの絵』が出来るまで
・日時:12月14日 15:00~17:00
・定員:15名
・対象年齢:大人
・参加費:¥1,500
【サイン会】
・日時:12月14日 12:00~12:30、17:00~18:00
※メルヘンハウスにて購入された書籍やグッズに限ります。
【お申し込み方法】
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より必要事項を記入の上メールにてお申込みください。
メルヘンハウス営業時間内であれば、お電話(052-887-2566)でも承っています。
「サイン会」のお申込みは不要です!

 

ぐんま愛「LOVE まえばし」


2025年11月26日発行の上毛新聞に掲載の「ぐんま愛」
群馬県内の自治体がシティープロモーションを行うページで、前橋市の今を伝えるべく、取材、編集、イラストレーション、デザインを担当しました。

前橋市ビジョン「めぶく。前橋市」策定から10年目というタイミングで(「めぶく。」の発案は前橋市出身の糸井重里さん)、今回は市の未来創造部・広報ブランド戦略課のスタッフが前橋の今を現す4つのテーマ、「まちなか」「移住」「インクルーシブ」「農業」それぞれのテーマに適任と思われる方をピックアップ。ひとテーマ2組の方が対談を行う形でのインタビューとして、ボクにオファーがありました。

この時点でこのページで何をやるべきなのか答えは出ていたはずですが、ボクも加わった後も丁寧なミーティングを重ねてくれたことで、「今のまえばし」を伝えるには、前橋に暮らす人の生きた言葉にスポットを当てたらいいだろうと直感しました。

そうして行った4度のインタビューは、自然とトークセッションのようなスタイルとなり、「さびれた」と言われた10年前の前橋と、「面白そうだね」と言われ始めている今の前橋とを繋ぎ、10年後の前橋を想像させてくれる「言葉」に出会うことが出来ました。

というわけで、暑すぎた夏の終わりの4つのセッションを、製作ノート的に振り返ってみますね。

その前に自分について。


群馬県旧勢多郡粕川村に生まれ育ったボクは、子どもの頃に前橋の街に行くのがとても好きな子どもでした。でまあ色々あって、高校は桐生の方へ。そして大学進学のため群馬を出ます。
その後大学は中退し、長澤 節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学び始めた自分にとって、前橋は変わらず「綺麗な街だなあ〜」と恋心を抱き続けた存在でした。
しかし、バブル期の前橋の変化に疑問を持ち(これは前橋に限らず、日本のスベテの場所に対してだけど)1990年代後半以降、前橋の「まちなか」が寂れてゆく姿に喪失感を抱くようになります。
ふと気がつけば、故郷の粕川も前橋市に組み込まれ、見慣れた前橋市の独楽のような形も、赤城山大沼からこぼれ落ちるデッカいナミダのような形に変わっていて…

そんな喪失感は、その後ボクが日本各地の街を歩いたり、なんならその土地の方と協働でイベントを創ったり、理想の街のあり方を求め障害者施設とのコラボをしてみたり、震災後は東北を歩いたり、何よりローカルに暮らす多くの愛しき人々と出会うモチベーションになったのであろうと、今になって気がついています。(ちなみに、まだ行けていない都道府県は高知県だけ…)

長年見失っていたような前橋ですが、2018年春に父が亡くなる前後で足繁く通ったことで、前橋の再発見が始まります。
近年のまちなかでの動きは魅力的なものであり、そんな流れがあったからこそ、2023年にはまちなかで閉店した陶器屋さんで個展開催。街作りに関わる多くの人と出会います。今年5~6月には”前橋サバービア”敷島のフリッツアートセンターで展覧会を開催するため、前橋を歩き倒し、99枚のスケッチ作品を描き『ボクの知らない前橋』を体に刻み込むようなことをしました。

そんな経験を通し、今回の取材は「ボクは今の前橋を知らない」という前提で行っています。。

session 1_9月9日「インクルーシブ」
SHOP CAFÉ Qu 千木良真弓さん × 障害福祉サービス事業所「麦わら屋」 小野介也さん
道の駅まえばし赤城 SHOP CAFÉ Qu にて。

千木良さん、2024年の能登半島地震発災後、ボクが製作した復興支援用のポストカード利用を希望された方だったんだ。
というわけで、「心の2度めまして」のご挨拶をした千木良さん、ボクは勝手に男性と思っていたんよ。。
やっぱ人には会わねばならないね〜。

で、麦わら屋を運営される小野さんも、千木良さんとは前橋の街のあちこちですれ違っているはずなんだが、こうしてお話をするのは初めて?

障害者福祉の現場では、お互いどんな言葉を使うのか気にするところから会話が始まったりするんだけど、その部分を自分が先回りすることなく、なんなら訂正してもらうくらいの方がリアルに人が感じられるだろうと。ボケボケと質問を繰り返す自分に、お二人がとても真摯に答えてくれたことで、徐々に会話に熱が帯びて行きました。

そんなセッションの中で溢れた言葉、小野さんが理想と思う施設を運営する上で「前橋の”小ささ”に救われた」ということと、福祉ショップ立ち上げの店長に大抜擢された千木良さんの「当時は街を歩く人が”少なくて”、しかし、だからこそ多くの方とじっくり話すことができ、前橋の面白さに気がつけた」という言葉。

「小さい」「少ない」というネガティブに響く言葉を『若い人の軽やかなマインドでポジティブなものに変えられた10年』というものに、今の前橋の面白さが濃縮されているように思いました。

お二人とのお話は興味深いものばかりで1時間以上続きましたが、新聞紙上では600~700文字ほどに纏めなければなりません。紙面で伝えきらなかった部分で特に面白かったのは、お二人それぞれが福祉の世界に入ってゆく発火点の部分。
大学の専攻はそれぞれ福祉に関係無いものだったけど、それぞれ期せずして起きた障害のある方と触れ合いを、ポジティブに、もうちょっと言えば「当たり前のこと」と思えたことで、その人なりの人生が生まれたこと。
その発火点を語る姿に気負いは感じられず、実に軽やか。もうちょっと言っちゃえばオシャレ。時代が違えばロックスターになっていた?そんなことをボクに思わせてくれるボクより若い二人の存在が嬉しくってね。

『こんなマインドを持つ人が育つ土壌が前橋には ある』そう自信を持って言える日が来ることを想像しつつ、この企画で表現するべきことは『人こそ前橋の希望だ!』ということなんだろうと。取材の軸が見つけられたありがたい時間となりました。

そして、
この取材がきっかけとなり、来年2月14日にQu でインクルーシブなアートワークショップを開催することになりましたよ〜!

session 2_9月11日 17:00~「まちなか」
レストラン・モモヤ 森田和子さん × 高校一年のHさん
パーラーレストラン・モモヤにて。


「あ、写真は出さないでください」
「あと名前も」
前橋市内の高校一年生、16歳女子から対談を前に伝えられたお願いに一瞬フリーズ。
しかし秒で「わかったよ〜」「うちの息子も同い年、高一だからね、そういうのわかる。」「うん、なんとかなる、なんとか。」と切り返す。

10年前、小学一年生のHさんは、お父さんの仕事の関係で東京の世田谷から前橋に移住。
この日の対談相手、レストラン・モモヤの森田和子さん(現在78歳)と過去の(2017年)上毛新聞のこの企画ページに登場。
当時小学2年生だったHさんのことを「元気でよく喋る子だったよね〜」と嬉しそうに語り、対談スタート。

自分は心の中で「紙面のビジュアルどうしよう??」と考えつつも、Hさんの10年の変化こそ、この企画に確かな言葉を与えてくれるんだと確信し、相変わらずボケボケと質問をしてゆきました。

そうすると、これは本紙でも書いていますが、学校帰りで疲れた16歳を労るように、和子さんが優しく語り続けた「わたしの前橋」クロニクルが沁みるんだ…
ボクの生まれ育った世界的な養蚕地帯の郡部から、仕事を頑張った人たちが上毛電鉄に乗って前橋の街へ。そこで1人ひとりの幸せを謳歌していた『人の湧き立つ1970年代の前橋まちなか』。嗚呼、これこそが自分の愛した前橋。
なんだが、今は未来方向を向かねばだよね。

そんなボクの危惧を吹き飛ばすHさんの言葉。
(この10年)「わたしは変わっていないけど、この辺はにぎやかになった」からの、
Hさんにとってこの10年の前橋は「東京じゃこの経験は出来なかった」と。
これは親御さん、和子さん始め地域の方々、学校や友人との良好な関係だったり、前橋が人に与えてくれる余白があってこその「経験」なんだろうと。

それをさらに裏付けてくれたのが和子さんの「前橋は温かく 優しい街です。」

自分は前橋の表層的な部分を見て「さびれた」とか「盛り上がっている」と語ってしまってはいないか?
前橋の街で人が生きるために空気を送り血をめぐらせているものがなんであるのか、この企画でボクが答えを出すわけにはいかず。しかし、この紙面に出会った人が考えてくれることが、前橋の未来を創るんだと確信した対談。

この紙面のデザインラフを見せた段階で、Hさんはお名前だけ解禁OKとなりました。
その辺は本紙で確かめてよ〜〜

session 3_9月16日 09:30~「農業」
いちご直売オヘロパパ 佐藤日向さん × バラ農家 大谷伸二さん*前橋バラ組合
いちご直売オヘロパパのビニールハウスにて。

28歳の若さで立派ないちご栽培農園を営む佐藤さんと、前橋を象徴する花「薔薇」の栽培で高い評価を得ている大谷さんの対談。
ですが、ほんとごめんなさい。
ボクは佐藤さんのイチゴを食べたことも、大谷さんの薔薇に触れたことも無い、そんな失礼な状態でお話をうかがわねばなりません。(新聞記事がリリースされる対談から2ヶ月ちょっと後も、イチゴが実る季節にあらず…)
これまでやってきた仕事では、食べた実感を持たぬ表現は避けてきた自分です。過去に渡辺麻里奈さんと雑誌Hanakoで食の連載をしていた4年間では、麻里奈さんかお店紹介の原稿が届いたら、締め切りまでの5日の中で実際に食べに行って、絵を描いていたんよね。(ギャラはすべて胃袋の中に消えました)

しょうがない、ほーんと「何も知らぬよそ者」としての自分で臨むしかなかった対談。

お二人とも職人気質の農家さんで、多くを語るより、本質的なことをズバ、ズバッと口にされる感じ。そんな興味深いワードに出会うたび、会話をスタートラインに戻しその意味を探る「もっさり」したボクの仕切りに、我慢強く付き合ってくださったのは、やはり日々植物と向き合うことを生業とされているからなんだろう。

対談の冒頭「なぜこの仕事を選んだのか?」に対し、佐藤さんは「東京で学ぶ選択肢もあったが、東京で働く人たちの姿を見て、自分がやるべき仕事では無い」と判断したとのこと。実際はもうちょっと辛辣な言葉で、東京もんの自分はうなだれつつも、これだけで前橋で農業を営む優位性が感じられるわけで、心の中で「よっし」とガッツポーズ。
そうした強い言葉に対し、大谷さんが「バラ生産者の仲間がボソッとくれるアドバイスに助けられる」と、やはりボソッと語ってくれたことに、そうだ、群馬の生産者は「ボソッと」良い話をされる方が多いイメージだったなあ〜と。子供の頃を思い出した自分です。

そんなアドバイスをくれる仲間がいちご生産の世界にはいるのか?佐藤さんに尋ねると、イチゴの仕事の繁忙期が重なるため、仲間同士で研鑽を高める場を作ることは難しく、そもそも同じ作り方をしても同じものは作れず。「自分はこの土地の気温差や風の吹き方などが武器になっている」と佐藤さん。
佐藤さん!この言葉頂きます。と前のめりになる自分。

そこに佐藤さんのパートナー、じゅんさんが現れて、この対談をニコニコして聞いてくれたので、お二人のなれそめを伺ってみると、終始「イチゴ色」に染まった甘酸っぱい話でね…
栃木から嫁いできたじゅんさんが、地域のみなさんに助けられていること。
さらに「(日向さんは)近所のおばあちゃんたちに守られているんです」って。

ああ、早くここのイチゴを食べたい!大谷さんが育てたバラを愛でたい!!
ボクのこんな気持ちが伝わる記事にしなくちゃって、1時間半もお時間を頂いたちゃった楽しい話を、500~700文字にまとめなければならないプレッシャーを感じた、美味しい対談でありました。

session 4_9月16日 13:30~「移住」
ラトリエブロカント 石井トニーさん・レイコさん × 株式会社望心(もこ) 望月 誠さん・藍さん。

L’atelier Brocanteのアトリエにて。

はじめまして、望月 誠さん、で、パートナーは「藍さん」ですね…
「えっ、愛と誠 じゃないですか!」などという軽口から始めた対談。

いや、「はじめまして」の場所、トニーさんとレイコさんが運営するフランスのアンティークを扱うアトリエ、ラトリエブロカントの美意識に溢れた空間に気後れしてるのは望月さんご夫婦だけでなく、ボクもだったんだよ〜

さらに「はじめまして」の2組のご夫婦の対談。お互いオープンに語ってもらうには?ということを考え続けた時間。

「移住」を決意する際、なんらかのネガティブな事象を乗り越えたこともあるでしょう。
4名の「人となり」を掴むために、細心の注意を働かせながら話を進めようとする自分ですが、そうするために過度な自分語りを繰り返してしまってるなと、ちょっと焦りながら会話を進めてました。
ただ、自分を語ることで、インタビューは5名のセッションに変わったなあと。

この企画の目論見は「移住から今に至る生活」を聞き出すということだと思いますが、それ以上のこと、「これから前橋がどういう姿であってもらいたいか」「わたしは前橋でどう生きたいのか」そんな1人ひとりのビジョンを共有するような時間になったのではと思います。

フランス生まれのトニーさんと前橋出身のレイコさんがイギリスで出会い、栃木の益子を拠点としたフランスアンティークを扱う仕事を行うも、東日本大震災を機にパリへ。その後家族のことを一番に考えた移住先が前橋であったこと。

埼玉の医療機関で長野出身の誠さんは藍さんと出会い、意気投合し、「お互いの生きやすさ」を尊重し移住相談会を経て前橋へ移住。お子さんを授かる。さらに家族のことを考えた誠さんは、在宅で仕事の可能なネット通販事業を始める。

そんな「移住クロニクル」な対談を通しひとつ気がついたのは、ネットでものを買うことが当たり前になったところで、群馬県の前橋市で仕事をして暮らすことの優位性が高まったのではということ。東京まで1時間半。赤城山はじめ群馬の豊かな自然へのアクセスが便利な前橋。海は無いけど、大きな自然災害のリスクは低い。家賃も東京から比べたら…(心で泣く自分です)

藍さんの「前橋の自然の中で無邪気な姿を見せる、昭和の夏休みのような風景に子育ての可能性を感じる」って言葉に、誠さんが「うん、うん」とうなずく風景が、前橋にとって可能性だなあ〜

レイコさんは「私たちが移住してしばらくすると、男性が前橋に戻ってくるようになった」と。
このまま使うと誤解を生むのではと、本紙ではニュアンスを変えています。
レイコさんが語ったことの本質は、「めぶく。」という前橋市ビジョンが策定された10年前辺りから、JINSの田中 仁さんを中心とした民間での街作りが活発になった前橋。それを面白く感じた人たちが、前橋の可能性に惹かれてUターンすることが増えた。それにより街のクリエイティブのクオリティが高まり、トニーさんとレイコさんが前橋を拠点にする意味も高めている。ということでしょう。(実際にボクも前橋に惹かれてこの対談を行なっている)

ただこれは始まったばかりのことだよね。

トニーさんに前橋ってどんな場所ですか?と尋ねると「まだまだ磨くべき場所」だって。
いいね〜!希望が無ければ語れない言葉。

日本で暮らす中、前橋が選択肢となること。こんな記事を通してでも多くの人に伝わるといいな。


この取材は、9月の3連休の前後で行いました。

それは同じく広報ブランド戦略課のスタッフが中心となり結成された「まえばし名刺プロジェクト」の取材を挟んだスケジュールで行いました。

前橋で暮らす人の「わたしのまえばし」を探り、取材し、260枚のスケッチを用意し、市役所職員による投票で100枚を選び、100枚の名刺の裏に100種類の「まえばしスケッチ」を施すというプロジェクト。

この取材に至るまで、市の職員と何度もセッションを重ね、「前橋とはなんであるのか?」を探求してきました。

この2のプロジェクトが交差したことで気がつくのは、前橋が有する「やさしい余白」に、前橋で暮らす人たちの幸せが息づいているんだろうなということ。

こうしてスケッチによるイラストレーション制作、編集、デザインを進めて行く上で、絶えず「やさしい余白」というものを意識。実際仕上がったものはなかなかの文字量ではありますが、 でも開いて出会う新聞紙面からは前橋らしい「やさしい余白」を感じてもらえるはずです。きっと。

そんなものを一緒に作り上げてくれた前橋市と上毛新聞のスタッフ、
そしてボクに真摯な話を聞かせてくださったみなさんに感謝いたします。

今はこのプロジェクトが手から離れて、ちょっと寂しいじゃねえか…

以上、
3ヶ月ほど費やして書いたラブレターのようなものを振り返ってみました。。

2025
1126
アミイゴ
PEACE!!

176ヶ月め_都城

今日は2011年3月11日から5,359日
765週と4日
14年8ヶ月
176回めの11日です。

宮崎県都城市のS.A.Lgalleryでの花の絵の展覧会「花さくところ」
11月9日で会期を終えました。

思いがけずとても美しい展覧会が創れ、
思いがけずこれまで描いてきた花の絵に新たな命を吹き込まれたような、
ほんとありがたい時間になりました。


あと、なんだろう。
絵を見てくださる方々の姿も、とても美しく思えたギャラリー。

それは、
ギャラリーのオーナーでこの場所をスタジオとして版画制作を続ける黒木 周さんやそのご家族、
ここを愛する方々のマインドが、この場所を美しく磨いているのではないかと思うのです。

展示設営が終え、当日開場までの時間を使ってご挨拶文を考えていたら、
東日本大震災前に花の絵を描こうと考えたこと、あれこれ思い出したので、
なるべく飾らず言葉にして、ギャラリーの隅っこに貼っておいてみました。

「花さくところ」について

はじめまして、小池アミイゴです。

この度S.A.L galleryからご縁をいただき「花さくところ」という名の展覧会を開催するこになりました。

ボクは普段東京の渋谷区の富ヶ谷という静かな街で、イラストレーションの制作やデザインの仕事をして、時間に余裕あれば好きな絵を描く生活をしています。

花の絵は2009年の1月、食べるために買っておいた菜の花が台所で花を咲かせているのが可笑しくて、描いてみたら「自分らしい」絵に出会えたことから、今も描き続けています。

その年の暮れには息子が生まれたことで、街や人、花への視線に変化が生まれ、「花を描かなくちゃ」って思うことが増えて行きました。

自分にとって花を描くことは人を描くことであり、それは命を扱うようなことでもあるのだろう。そんなことを思い始めた2011年3月11日東日本大震災発災。多くの人が表現することをフリーズさせた中、自分は被災地を歩き、風景や花の絵を描き続けました。それが出来たのは、やはり自分が花の絵を描いていたからだと思います。

2020年、新型コロナで休校となった小学5年の息子との100日間では、息子に「勉強しなさい」と言わねばならぬ自分に対し、『毎日花の絵を描きSNSにポスト』することを義務付けてみました。

交通量が極端に減った東京の街の、春から初夏にかけての息子との濃密な時間。光も空気も美しい街では、やはり花が美しく輝いて見えました。コロナは大変なことだったけど、でも、何が幸せであるか深く考えられた時間を、今は懐かしく思います。

時を遡って2008年12月末。ボクは初めて都城を訪れました。

セツモードセミナーで一緒に絵を学んだ仲間、玉利くんがこの街で亡くなったと聞いたからです。

福岡から高速バスで都城まで。そこから歩いて西都城駅、さらに川を土手沿いに遡って、S.A.Lに程近い玉利さんのご実家まで。

初めましての風景を眺め、冷たい空気を吸って吐いて、色んなことを考えながら辿り着いた彼のアトリエで、玉利くんが描いた懐かしいチューリップの花の絵に再会しました。

2009年1月、福岡に滞在していたボクは、東京でお世話になっていた友人が末期の癌であるとの連絡をもらいました。「どうしたものか」と思いながら東京に戻ると、食べようとして買っておいた菜の花が咲いていて、ボクは2枚の菜の花の絵を描き、1枚を友人の家族に贈りました。


こんな文章を書き終えて、
ああそうだったなと思って。

いろんな人の顔が浮かんで。

そうか、今自分はここにいるんだと。


2008年12月の都城は、
いつか沈んでしまうのではと感じた場所でした。

今回そんな話をすると、
ある方は「大変だった」と、
ある方は「そんなことない、ずっと元気だったよ」と。

2008年はリーマンショックの年ですね。
自分の故郷、群馬県の前橋の街が寂れて沈没しそうだったことに心痛めていた目は、
自然とネガティブなものをキャッチしていたのかもしれません。

それでもボクが乗ったバスが到着したあたり、
バブル期前後の都城がドンと打ち出した「あらたな街」の20年後の姿は、
道に迷い続け、疲れ、ただ立ち尽くすしかない人のようでした。

今回、まさにそのエリアがあらたな力を得て再起している姿に出会うことが出来て、
これは日本の社会の希望だなあ〜と。

2008年に寂れてなんの建物かも想像できなかった、元ショッピングモールは、
立派な図書館として再生され、若者やお年寄りの第三の居場所として活躍していました。

いや、すごい図書館だなあ〜〜
一言では語れない魅力が詰まった場所だけど、ともかく本に手が伸びる場所。
そして居心地が良い場所。

館長さんに伺うと、
この図書館ができてから8年、子どもたちの様子が明らかにポジティブなものに変わったって。

いや、箱を作っただけではそんなことは叶わない。
やっぱ関わる人の在り方がこの図書館なんだろうなと、ここに関わる方と交わす朗らかな会話から実感。


そういや都城市、ここしばらくふるさと納税で得た寄付額日本1位だったんだって。。

2008年、ボクが寂しいと感じてしまった都城だけど、
そこで危機感を持って行動に移した人は確かにあって、今の都城がある。

これは、日本の他のエリアでも頑張ってやれることだろうけど、
「こっちを見て!」と人を振り返らせるアピール力は九州ならでは、
都城ならではなんだろうなと。

東日本の被災エリアの方々や、故郷群馬のあり方など振り返って思ったりもします。

でも、その違いがこそが日本の社会の多様な魅力であると感じるボクは、
それぞれのエリアらしさが発揮される場所創りを地道に取り組んでいるような人を、
たはり地道に応援してゆきたいぜ。

今回は展覧会だけでなく、S.AL.galleryでの大人ワークショップを開催。
さらには昨年知り合った宮崎市在住で図書館司書や絵本専門士を務める佐藤さんの計らいで、
都城を中心に宮崎市や熊本の益城町まで赴き、
子どもワークショップや大人ワークショップ、学校会での講演会や地域のお話会、
イオンモールでのぬり絵似顔絵なんてことまでビッシリと組み込んでもらいました。

おかげさまで、自分の勝手な見た目では得られる宮崎や都城や益城町の魅力を、
子どもたちと接するからこそののリアルさで感じられました。
また、子どもたちを見守る方々との会話から、今の社会で必要とされるこに気づくことも多く、
とても意義のある、絵の具まみれのハードワークの11日間になりました。

うん。これは良い未来を創れそうだ!

しかし、絵の具を何度買い足しては、絞り切られてしまったことか…
しょうがない、みんなまた元気で会おう!

 

175ヶ月め


今日は2011年3月11日から5,328日
761週と1日
14年7ヶ月
175回目の11日です。

アップした絵は、9月23~26日で初めて滞在した韓国ソウルの仁徳大学での、イラストレーターで長岡造形大学の准教授でもある御法川哲郎さんのワークショップで作成したもの。

日韓国交正常化60周年にあたり仁徳大学が協働しソウル市庁が主催の『SDGs がテーマとした韓日のコンテンツアート交流展覧会』にお声かけいただき作品出品。
日本から招聘された4組の作家のひとりとして、現場でのスピーチを求められての訪韓となりました。


SDGsをテーマとしたポストターを作成する御法川さんのワークショップ。
シンプルで余白のある投げかけに、集まった学生が真摯に答える姿が美しくて、
じゃあ自分は何が出来るのだろうか?と考え、

ともするとデカい話になってしまいがちなSDGsだけど、
自分はここに集まっているみんなに向けたビジュアルを作ってみることに。

じゃあSDGsの17の目標の中から何を選ぶか?
ということで10番「人や国の不平等をなくそう」をチョイス。

ここに集まっているみんなに向けたビジュアル作成だとまずは「韓日」だなと。

スマホでGoogleマップを見てみたら、
あれ?韓国はこれくらいの大きさなんだ〜。と、
あらたねて確認した韓国のサイズが、日本の国土と比べて思ってた以上に小さいことに驚く。

が、自分はここに集まっている学生をリスペクトしてるなあ〜。
人に対するリスペクトは、国土のサイズに比例しないなあ〜。
なんていう中学生くらいの思考を働かせていたら、
「韓国の日本を同じくらいのサイズで描いてみたら面白いだろう」と思いついたのです。

で、まずは構図を意識しながら左手のフリーハンドで二つの国を描いて。

次にその絵を右手でトレースし構図や線を整える。
(教室の窓ガラスが丈夫だったので、窓ガラストレースしたです)

その線が教室内や窓からの風景にマッチするまでその作業を繰り返す。

というのが楽しかったんですよ〜〜〜

この楽しさはどこから来てるんだろ?


今回日本から招聘されたのは、
イラストレーターで日本側学芸員チーフとしての三浦 均さん。
御法川 哲郎、デザイナーでアートディレクターでもある小熊千佳子さんと、
穏やかに熱い方々で、気持ちよく同行させていただいた感じ。

何より、キム・グァンマン仁徳大学総長と、サン・ビョンイル教授のご厚意のもと、
通訳に奔走してくださったチャン・ファソプさん始め多くのサポートを頂いての、
快適なソウルの4日間でした。


そんなソウルは、高度に、そして高密度に都市化されていて圧巻でした。

通訳の方々がボクの韓国の今に対する質問に実にオープンに答えてくれたことで、
『東京のパラレルワールドとしての東アジアの都市』みたいなことじゃなく、
大陸であり半島でもある韓国の首都ソウルというものを、言語化と肌感同時で感じられました。


もちろん心地よさだけでなく、
ソウルとしての、もしくは国としての課題なんてものにも気づきます。

その気づきは、あらためて日本の社会を考えるきっかけになります。


東京羽田から福岡に行くくらいの時間で行けるソウル。

ありゃ〜、こりゃなんで今まで来たことなかったんだろう?と。

4日でインプットされた情報が多すぎて、今はまだうまくまとめられないけれど、
明確に言えることは「思ってたん以上に愛しいなあ〜〜!!」です。

猛烈に働いて、猛烈に学んで、高度なコンテンツ産業を育て、でも子供っぽくなく、
アート対する造詣が深く、ガッツリメシを食ってまた働くソウルの人たち。
格差や孤独、高齢化なんて課題も含めて、これからさらに会話を深めるべき隣人と思います。

滞在4日目、フライトまで時間があったので、
通訳の女性が力説していた「ソウルにはこの川の余白があるから、ソウルの人たちはおかしくならずにいられるんだ」という川、「漢江」を見にゆこうと、御法川さんと江南エリアのホテルから歩き出しました。


広い歩道と街路樹の多さがうれしいです。
車はヒョンデとキアがほとんどで、メルセデスとBMW、たまにレクサス。
全部セダンで、軽自動車は走っていないんだ〜〜〜、、


企業が行政が効果的に設置しているパブリックアートが気持ち良い。


御法川さんが目指した本屋は、とんでもねえ映えスポットでした。


美味いコーヒーにも出会えました。

そしておじさん2人、
具合悪くなるまで歩いて、
ついにソウルの美しい余白と出会う。

ああ、これは人が生かされる景色だなあ〜〜


ボクはこの余白を描かねばならないし、
この川にまた会いにこなければならない。

 

 

 

 

まえばしセッション3


群馬県前橋市のシティープロモーションにまつわるプロジェクトのためのセッション。
前回のセッション2から間をおかず、9月13~15日の連休を使い前橋市全域を取材。

「連休を使い」ということは、引き続き市のコアスタッフもボクも手弁当で活動です。

アップした写真は取材最終日、スタッフとの別れ際のスナップ。

自分が関わるものでこんな笑顔の風景が生まれるんだ〜!と気づいた、
そんの取材ができたんだと思います。

この取材を通してキャッチ出来た群馬県前橋市の魅力は「やさしい余白」

19歳の自分が後ろ脚で砂かけるようにして出た群馬。

それでも当時の前橋は美しく活気に満ちた街でした。
それが経済の波に呑まれ、この街のすべての美しさが失われてしまったような、
そんな喪失感ばかりを感じてしまっていた前橋。

でもそこに暮らす人たちと丁寧に向き合うと、
笑顔のスナップと共に、自分が居ても良いと思えるやさしい余白が見えてきた。

ボクはこれからそれを絵にしてゆくんだけど、
先回りして1枚描いてみました。

取材を共にしてきた人たちとのコミュニケーションが見せてくれる風景。

引き続き大切に描いてゆきます。

取材3DAYsの次の日は別件で2つの取材。

その後、あらためて前橋市のスタッフと振り返り。

そして
セッション3

多様性を抱える前橋の風景、自然や街や人から感じる色というものがありますが、
もっと踏み込んだパーソナルな色に出会いたく、

「忘れられない前橋のたべもの」というテーマでワークショップ。

9名の体に刻まれた色の記憶をお楽しみください。

亡くなった祖母が作ったきんぴらごぼうが忘れられない味です。辛めの味付けと、ごぼうがやわらかくなるまで煮てあったのを覚えています。再現しようと自分でも作ってみましたが、なかなかうまくいきません。
(注_おばあちゃんのキンピラが手の届かないところに行ってしまっているのを表現したそうです)

子供の頃地域のかるた大会や祭りに行くと、必ず登利平のお弁当が出てきて、あの味を食べるたびに懐かしい思い出を感じることができる。魂にきざみ込まれたお弁当です。

「焼肉」=「カルビ」だった若い頃、先輩に連れられて入ったホルモン焼屋で食べたホルモンが、衝撃的だった。

義母の作ったお赤飯が忘れられません。義母はとても料理が上手で、手ぎわ良く、たくさんの種類のご飯を作ってくれました。特に赤飯は実の母もべたぼめするほど!レシピを聞くと「てきとうだから」と言っていました。ですので作り方は不明です。亡くなった今はどう作ったのかもわかりませんが、また食べたいなあと、ふと義母を懐かしく思い出す時があります。義母の笑顔と、ほっこりふんわりもっちり赤飯。美味しい香り、楽しい食卓。

子どもの頃ばあちゃんが、おやつににぎってくれた塩むすび。
米を炊く水の味の記憶。

なかやで食べた「かつむすび・かつ丼」。食べる前はどんな味だか想像できなかったが、食べるとめちゃくちゃおいしかった。

オリオン通りの裏通りにあった小さなやきそば屋。おばあちゃんの焼くこうばしいソースににおい。季節に関係なく出される温かいおばん茶。柱時計の音。テレビもラジオもなく、ただおばあちゃんのやきそばを焼くヘラと鉄板の音だけ、空間も味も最高のごちそうだった。

シノザキの冷やしラーメン。混むから仕事を早く切り上げていく。寡黙なご主人と愛想の良い奥さん。店主の気分で「暑い」と思うと始まる。「涼しくなった」と思うと終わり。6年間で2年間は行った前日に終わっていた。異動しても食べたくなり、行ってみると看板がおろされていた。ネットで検索すると、バイク好きの店主が北海道のツーリング中に交通事故で亡くなっていた。もう2度と味わえない生姜入りの冷やしラーメン。

幼い頃、おばあちゃんが手打ちで打ったうどんが忘れられない味です。生地を踏むのを手伝ったり、機械に入れて麺にしたりする工程も良い思い出です。汁の味はけんちん汁です。

なんか鼻の奥の方がツンとする物語。
そして美味しそうな色した余白がキレイな絵だね〜。

そんなこんなの経験が見せてくれた風景をもうひとつ先回りシェア。

取材を終えた次の日の朝、ボクの前を駆け抜けた学生は自転車を思いっきり立ち漕ぎしていました。

上り坂でもなく向かい風もない街を、自転車立ち漕ぎ。

これは前橋でよく見かける風景です。(他の街ではあまり見かけないってことですね。)

思うに、
前橋の人たちの心にはいつも空っ風が吹いていて、それに向かって「エイ」と立ち漕ぐのだろうかね〜。

++

そんなこんなの言葉や絵のやり取りをしていたら、
取材を共にしたくれた前橋市役所スタッフ(名刺プロジェクトチーム)から
『俺様にも語らせてくれー!まえばし』が届けられたので、
自分が撮影した写真を返歌として添え、ここに掲載してみます。

しゃかりきM.K.さん
市内の取材を通じ、改めて前橋の歴史や景色、魅力を再発見することができました。
職員のみなさんの「とっておきの前橋」エピソードにはどれもその人オンリーの物語があり、あったかい気持ちになりました。アミイゴさんは単に絵を描くのではなく、人やモノの背景を大切に描いているのがわかりました。
より多くの人に伝わるといいなと思っています。

T.O.さん
前橋ってやっぱりおもしろい!というのが率直な感想です。それぞれの思いを感じながらの散策も非常に刺激的なものでした。この土地を離れて過ごしたこともあり、赤城山の雄大さに慰められたことを思い出して、愛おしい気持ちが更に強くなりました。みなさんも*ブラ・ミンゴしませんか?

*ブラ・ミンゴ_高低差好きのアミイゴの取材中の発言が”ブラタモリ的”であったことによる、空想TVプログラム。
Y.F.さん
今回の取材では、久しぶりに赤城山を訪れました。
市役所から見える「いつもの赤城山」も素敵ですが、実際に足を運び、いつもとは違う場所や視点から眺める赤城山、そして前橋の風景には、また違った魅力があることを改めて実感しました。
M.I.さん
2日間、取材に同行させていただきありがとうございました!
アミイゴさんとメンバーの皆さんとご一緒することで新しい発見がたくさんあり、今後の展開がますます楽しみになりました。
FBに載せていただいたねぎ畑の向こうに写る我が家の写真も美し過ぎて息を飲みました。
普段から見慣れた風景ですが、「これぞ故郷!」といった感じでとても新鮮でした。
今回の素敵な御縁に感謝しています。
M.H.さん
前橋の魅力とは何だろうと改めて考えさせられました。
普段の生活すぎて気にも止めていなかった前橋の風景が、
アミイゴさんの画角から見るとこんなにも素敵な場所だったのかと思う体験をさせていただきました。
I.I.さん
今回の取材で、生まれてから結婚するまでずっと前橋で暮らしていても、知らなかった前橋があること、新しい前橋ができていることが感じられてとても嬉しかったです。
特にマチナカは私のイメージと変わっていました。取材途中で出会ったカフェや商店の方々からは、この場所が「大好き」という気持ちが伝わってきて、明るい気持ちになりました。どんなイラストが出来上がるのか本当に楽しみです!

M.K.さん
今回の前橋探しで気づいたのは、探しきれないということ。車から降りて歩いてみるとどんどん新しい顔を見せてくれる。
微動だにしない静けさ、くたびれたような素朴な無表情、飛び跳ねるような躍動。
掴みきれない気まぐれさが、言葉わかんないけどなんだか深い。前橋の楽しみ方を、とうとう知ってしまいました。
M.H.さん
プロジェクトに参加したことで、こどものころからの前橋での思い出が走馬灯のように溢れてきて、特別な感情を味わうことができました。アミイゴさんと食べた「珍さん館」での味わいも一生忘れません!住んでいる高崎も好きだけど、子どものころから訪れている前橋も好きよ。
A.H.さん
この度ふとしたキッカケでプロジェクトに参加してみましたが、まず驚いたのはアミイゴさんのきさくなお人柄でした♪
初回から妙な親近感を覚え、みんなが一気にリラックスして楽しい雰囲気になったのを覚えています。
みんなの思い出の風景を巡るツアーでは、アミイゴさんの繊細な感性にも触れることが出来ました。
この体験から創作される一人ひとりに響く作品になることでしょう。今から完成が待ち遠しいです。

T.Y.さん
アミイゴさんと訪れた各所は懐かしくもありつつ、今の姿を見せてくれました。
よく通る道をほんの少し入るだけで、こんな姿が見れたんだと感心。
アミイゴさんの視点で語られる言葉・みんなから発する言葉と過ごしたその場は楽しかったです。
三日間参加したかったと思ったほど。

今まで見られなかった、見てこなかった景色を見ることができました。

絶対的に誇れるのが自然の多さ、空気の良さ。
高校を卒業して2度と戻らないと誓って上京した時もそれは誇れる好きなところでした。

結局は三年数ヶ月離れただけで、人生の半分以上をどっぷりつかっている前橋。

距離感が絶妙だなと。
人と人、自然と人、繁華街と住環境とか。
東京に行くと疲れてしまう。
適度な距離感、余白があるのだ。
余白はのりしろで伸びしろでもあるかと。
お互いののりしろを繋ぎ合わせて
広がっていける。

そんな余白があるのが前橋かと。
ふっと緩められる余裕があるのがここの良さかと。

それに気付かせてくださったアミイゴさんに感謝です。
私の名刺はあと7枚。
次はアミイゴさんの名刺を使う気満々です!完成を楽しみにしております!!

イケおじT.Y.さん

9月半ばの三連休。
前橋のすみずみを歩き、語り、見つめ続けた三日間は、あまりに濃く、あまりに深く、ひとつの小さな旅のようでした。
いや、旅というより、まるで日本中を巡ったかのような広がりを感じたのです。

生まれ育ち、暮らし続けてきたこの町が、角度を変えればこれほどまでに違う表情を魅せるとは。
その発見は、アミイゴさんと共に歩んでくれた仲間の声や笑顔の積み重ねによるもの。
そのひとつひとつに心から感謝しています。
前橋の「らしさ」に触れられたのは、まさに皆さんのおかげでした。

そして耳に残るのは、《まえばしプレイリスト by 小池ソウル》。
その旋律は、この三日間の記憶をやさしく呼び覚まし、未来の自分へと届けてくれるでしょう――。

なんだよ、みんな、、
俺を泣かせたって世界はちっともよくならんぜ…
この優しく温かな言葉たち、前橋のみなさんに届けてゆこう!

最後に、
この取材を通して「ふと聞きたくなった曲」
Apple Musicで「まえばしプレイリスト」としてシェアしています。

「夏なんです」はっぴいえんど

「生まれた街で」荒井由美

「花」藤井 風

「大空で抱きしめて」宇多田ヒカル

「So In Love」カーティス・メイフィールド

「ジェシカ」オールマン・ブラザース・バンド

「Two of Us」ビートルズ

「レット・イット・ブリード」ザ・ローリングストーンズ

「桜の時」aiko

「坂道」折坂悠太

「空も飛べるはず」スピッツ

「硝子の林檎」松田聖子

「愛し愛されて生きるのさ」小沢健二

「甘い運命」UA

「For What It’s Worth」バッファロー・スプリングフィールド

「My Little Town」ポール・サイモン(with アート・ガーファンクル)

「Snow」レッド・ホット・チリペッパーズ

「Sun It Rise」Fleet Foxes

「荒野」baobab

「River」ジョニ・ミッチェル

「365日の紙飛行機」AKB48

「The Final View」Nujabes

「夏の影」Mrs. Green Apple

「Sunday Morning」マルーン5

「オワリのはじまり」かりゆし58

「Summer」久石 譲

2025、暑い夏だったぜ…
そしてボクのハートは熱々のままだ。

などと遠くを見つめてる場合では無く、
ともかく作画、作画、作画っ!
引き続き尽力してまいります。

2025
アミイゴ
Peace!!!

 

174ヶ月め_まえばしセッション2


今日は2011年3月11日から5,298日
756週6日
14年6ヶ月
174回めの11日です。

あの日から14年半後のボクは、
自分が生まれ育った群馬の前橋で、
前橋市役所の職員で構成された15名ほどのチームと、
「まえばし」についてあれこれ考えています。

前回の7月14日のセッション後、
市の職員が描いた『わたしのまえばし』の絵を一枚のポストカードにして、
市役所2,700名の職員に配布しました。

その裏面では、
より多くの「わたしのまえばし」の情報を集めたい考えを伝えています。

そうして集まったアンケートは110件ほど。

『2,700分の110かあ〜』という思いもありつつ、
それは自分の無名性によるものだから仕方ないと。

そもそも大学やコンサルなどの権威の裏付けの無い自分が、
行政とプロジェクトに関われるだけで有難いことであり、
自分のような者は関わる人と膝突き合わせ地道にやってゆくしかないのです。

なんですが!
このアンケートで伝えられた「わたしのまえばし」の1人ひとりの濃厚さ!
観念的に考えられた「良い街」からは感じられない温かな血の流れ、などなど。
これは大変なものを受け取ってしまったぞ!と。

1人ひとりの言葉を自分の体に落とし込もうとメモしていったら、
こんなんなっちゃいました。

これを市の職員のコアグループと解析。
取材のスケジュールを組んだところです。

以前にも書きましたが、
前橋市は2000年代の社会の教科書に「日本の典型的なシャッター商店街」として紹介されました。

郊外の養蚕地帯で育ったボクにとって、憧れの街だった活気ある前橋。
その喪失感は、東日本の津波被害に遭った土地に立った時と似たもので、
失われた30年の中での経済という大津波は、自分に恐怖に似た感情湧き起こすものでした。

そんな時代を生きてこられた100名ほどの「わたしのまえばし」は、設問の投げ方も影響したはずですが、
(ボクはドライな言葉を選んだけど、コアグループはエモーショナルな言葉をチョイスした)
フィジカルな記憶の残る少し過去の前橋を、焦点を定めずふわっと眺めるような視線で捉えた、
やさしい言葉使いで表現されていました。

そこには、自分が感じている喪失感のようなものは無く、
ただ誠実に生きてこられた人の営みが、前橋のあちらこちらに当たり前のように漂っているイメージ。

うん、そりゃそうだよ、
前橋で生きてこられた方には、自分のようにたまに東京から来て嘆いてる場合じゃ無い日常があり、
街のリアリズムに対しやさしさを鎧に前進するしかなかったはず。

もちろん、こんなアンケートに答えてくれる方はそもそも意識の高い方であるわけで、
人としてのしなやかな強さをより感じられるアンケート結果にはなっているはずです。

そんなこんなを踏まえてコアグループでディスカッション。

メンバーからはやはり
「後ろ向き(過去向)の回答が多く、今後のシティープロモーションにどう反映させたらいいか?」
「ふわっとした視点で、お店や建物を特定するものが少ない」
などの懸念が出たんだけど。

その『やさしくふわっとした視線』を、過去方向から未来方向に変えて見たら、
そこにはとても良い社会の風景が見えてこないだろうか?

過去をやさしく捉えた視線が、未来で捉えたくなる店や建物のデザインはどんなだろう?
そんなディスカッションから生まれる街っていいよね〜

前橋という街が、そんな1人ひとりの視線の先で再生される街であったら、
それは世界のトップランナーになりうるんじゃないだろうか。

などなど。

前橋は眼鏡のJINSを創業された田中仁さんが尽力され、
アートを核とした街(まちなかエリア)の再建が進められています。

そのエネルギーに、自分が市の職員と進めているやさしい視線が交差したり並走したり、
そんなことから生まれる街に、とても興味があります。

さらにその視線はアートもまちなかも超え郊外にも、前橋を抱く赤城山エリアにも、
利根川の流れに沿って広大な関東平野にも向かうものです。

その視線が何を捉えられるのか、何を捉えようとするのか。

その解像度をより高くするために、
自分がやることは、これまで取り組んできたイラストレーションやアートというものの発想を活かし、
可能であれば、自分が接するすべての人がアーティストである社会を目指したいぜ。

それは都会的な価値観を身に纏いスノッブな振る舞いを見せるようなことでは無く、
東北の沿岸部で出会ってきた漁師さんの生きる術を言語化してゆくようなことかも。

そして、美しいものを美しいと語れる社会になればいいな思うのです。

さて、
そうしたことを実現させるために、自分は何かしらの絵を描くことを求められるプロジェクトです。

ではどんな視点で見てどんな絵を描けばいいのか?

その責任を重く感じつつ、楽しく見て、多くを語り合い、考え、表現出来るよう、
ああ、やっぱ必要なのはコミュニケーションの現場作り。
引き続き尽力してまいります。